アーチャーと士郎と正義の味方
いろいろと妄想のような考察のようなものを書き殴り。
士郎の正義の味方という信念にはとても憧れる。彼は結果的に正義の味方という名前で呼ばれる者になりたいのではなく、自分が信念を貫き通すことで誰かが救われればそれでいいという考えの人だろう。彼は自分に対しての結果を何も求めない。寂しい信念だと思う。そういうの私は好きだけれど。
彼は自分自身に何もかも完璧に求めすぎた。おそらく掃除や料理に関しての潔癖なまでの完璧主義に現われているように、自身に対してなにかの重い枷を敢えてつけているようでもあった。だが人間ができることなんてたかが知れている。誰とも知らない誰かを救うことは、大切な何かをないがしろにすることであり、そして逆もまた然り。
士郎は本物のバカだな、とつくづく思う。お前が言うなってとは思うが。そろそろ気付いてもいいだろということにいつまでも気付けないのが彼の純粋さであり長所であり最大の短所でもあるのだろうけれど、理想でなんとかなると思っていてそれが破綻したら壊れてしまう辺りがおかしい。
多分士郎は結果を求めすぎなんではないか。思想や理想の果てに得られるもの、ある意味あらゆる願いをかなえるという聖杯のように絶対的な結果が欲しいのだろうなと思う。それの自分なりの答えが出た、というUBWの答えはきっと理想に邁進するけれども、結果に固執しないということなのかもしれない。というかそれしか彼が納得する答えがないというか。アーチャーにとっては既に過去のものになってしまった事実なのだから取り戻すことはできないものなのだろう。
士郎は桜ルート以外のエンディングではアーチャーがUBWのときに得られた答えを必然的に得ているから、その誓いを度忘れしない限りは健全な方向へ向かっていくだろうなと思う。しかし、彼は意外とそういう大事なことを肝心な時に度忘れしそうだ。誰かを助けたいという強い想い本能?が報われないことは分かってる理性を超えてしまうような出来事があるとぷつんと切れてしまいそうな。彼の矛盾はその混沌とした混交さにあるのだろう。思い込み一直線で実直なくせして、考える方向は欝でネガティブな文学少年。そのギャップは面白いんだけれど。
アーチャーは本当は士郎を殺したいのではなく自殺したかったのだろうと思う。理想で容易く自分の心が死んでしまってそんな死んだ自分が情けなくて、けれども既に死にたくても死ねない英霊というものになってしまったのだろう。だから英霊などという表現で語るのも、彼が自分の身を皮肉っているのだとも言える。自身の霊体にいくら刃を突きつけても、英霊の座に戻る彼の思考は永遠に消え去ることはなく延々と永遠に自分の不甲斐なさと自己嫌悪に苛まれる。士郎に言っていた皮肉、凛に言っていた皮肉はすべて自分への皮肉だったのだろうと思う。よくよく見れば、彼のセリフは嘘は言ってないし正直に物申している場面のほうが多い。言葉の裏に「どうしてこいつらはこう甘いんだ…くそっ」って声が聞こえてきそうな皮肉というのか。
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