主人公は誰がために
テーマと関係
ヒロイン(間違ってない)である士郎、アンリを解体してみようという試み。
前作、Fate/stay nightでは、聖杯と大聖杯、その真実の要であるアヴェンジャー、アンリマユが存在していることがHFで明らかになったものの、その存在が一体なんであるかということは語られなかった。ただこの世全ての悪であり、聖杯を汚染し破滅をもたらす象徴のように語られていた。だからこそ、このテーマで語ってくれたことに感謝したい。
Fate/stay nightは士郎とアーチャーの正義の味方という理想とその決着を描いたもの。
Fate/hollow ataraxiaは士郎とアンリマユという二つの相反した生き方と相似した魂を描いたもの。
士郎は過去第四回聖杯戦争に引き起こされた火事によってその後の人生のあり方がすべて決まってしまったといっても過言ではない。そしてその原因は、聖杯にとりこまれたアヴェンジャーであるアンリマユ。今回、第五回聖杯戦争の勝者だからといってサンプリングされた士郎とアンリマユはすごい因縁なのだった。そしてその決着は、士郎が逆にアンリマユを汚染してしまったという結果だ。
このFDメインシナリオで過去が掘り下げられたのは、キャスター、葛木、ランサー、ライダー、カレン、バゼット、アンリマユ。これらに共通するのが、救えなかった者と怪物。
ランサーは一番大事なものを救えなかったからこそ、バゼットを救うことを決意し、葛木は以前暗殺者でありながら何の意義もなかった人生にキャスターという救いを得、ライダーは同一存在になり得るかもしれない桜を救いたいと思う。桜は小さな頃から絶望があり、その反動から、憎悪の対象が近しい者であり姉だった。だからこそ、最も綺麗だと桜が思ったのはより近しくより綺麗だと思う衛宮士郎だったのだろう。バゼットは小さな頃から人生を悲観し、諦観していた。けれどそれでは生きてはいけないから、強さという鎧を纏って自分を騙し、楽しいことから目を背けた。
楽を享受せず、懺悔をするように人生を送る。その絶望と悔恨、後悔の淵に一点の光を見つけた。光を求めた──それが誰かを救いたいという想い。これが根源的テーマであると考えらる。
その中心にアンリマユという絶対悪が孕み、また衛宮士郎というアンリマユと反存在的なものが絡むことで物語のテーマはより重層的なものになり、複雑化している。
彼の出演と人格
とりあえず、今回は士郎の出番が日常部分しか殆どなかったという。あとアーチャー戦。
そんなところから、今回士郎は主人公ではないという見方もできるのだけれど……アンリマユは士郎の肉体と精神を借りなければ無らしい。アンリマユは主人公ではあるが、士郎と同化した状態であるとも言える。アヴェンジャーというよりもアンリマユが根本にある黒士郎というべきか。夜の聖杯戦争5の、「遠い世界の話には関われない。自分には関わりのないところで誰かに不幸な出来事が起きたとしても、アンタは笑っていろ」という言葉は、色々な物語を読んで一喜一憂している身として考えさせられる。
共有するのは楽だけでいい。
苦しみを伴って助けに来られても迷惑だ。
望むのは問答無用のハッピーエンド。
失い続けた日々を上回る愛と平和。
士郎の口調と考え方、アヴェンジャーの口調と考え方、奈須氏はそれぞれ考えて作りこんでるんだなぁと思える。読めば読むほど味が出て噛めるよ、みたいな。既にアヴェンジャーとバゼットが出ているシーン何度も読み返している人その一。それで判ったことといえば、アンリは士郎とかなり性格違うと見えて、結構同じだということ。
基本的な口調自体はさほど変わっていない。ランサーに投げ飛ばされたとき「勝手に言ってろマヌケ」とか言ってるのがそのままアンリの口調になったかんじだろうか。そういえば士郎ってマヌケって言葉好きだなぁと思う。
| 士郎 | アンリ |
|---|---|
| 心の中で密かながらに思っている | 口で悪態を吐いている |
| 遠慮し過ぎ | 遠慮がない |
| 比較的無口 | 比較的お喋り |
| 人の心に鈍感 | 人の心に敏感 |
| 好意が嬉しい | 好意が鬱陶しい |
| 素直 | 捻くれ |
「なんでさ」「なんで」と繰り返すところは、同じでも使いどころが違う。士郎の「なんで」は愚鈍さ故だ。アンリの「なんで」はわざとだろう。結局のところ、士郎は自分の欲望に執着せず無意識の深層に閉じ込めているから、朴念仁と思われるような言動になる。でもアンリはその部分に意識的であるから、好意も嫌悪も正直にちょっとだけ脚色を交えて話す。素直な感想も「なんでさ」も結局は同じところからきているのではないだろうか。
士郎の欲望抑制は桁が外れていると言っても過言ではない。超自我ありすぎというよりも、根本的な自己を守る超自我がない上で抑制状態があるというか。それが逆になったのがアンリ。根本的な超自我がないのは変わっていないのだろう。だから結局誰の為にしたいとか思っても空虚なわけで、士郎の場合誰かが助かっている結果があるから空虚に見えないだけで根本は空虚。アンリは破壊と衝動のほうに針が向いているから見た目でぱっとわかるといった風味。
分割
第五次聖杯戦争の勝者である衛宮士郎の人格を模したアベンジャー、士郎に憑依したアンリマユ、これらをアンリ士郎と呼ぶとして、この状態はアンリマユが望まれる志向性に同化するというかんじなんだろうか。
アンリマユ自身の意思や思考が存在として無に定義されるのだけれども、悪を望まれることを体現する存在であるから、それに染まったり同化する者は同様に少なからず悪であることを望まれる志向性を持つ。
アンリマユはあくまでサーヴァントとして召喚されたのだから、アンリマユという「現象」がそのまま大聖杯の中にあるものと繋がってしまった桜の場合、それを一身に受け精神を汚染された。更に自身の欲望や悪意が増幅して、自ら人を殺すものになってしまったのだろう。
バゼットとアンリ士郎の場合、アンリマユは士郎の存在を借り受けることで、人を殺すもの、悪であることを望まれる者という現象を希釈、緩和している状態といえる。だからこそバゼットはサーヴァントから流れ込む感情と呪いを一身に請け負わずに済んだのかもしれない。大聖杯の中にサーヴァントとして存在するアンリマユはあくまでも志向性を持つ現象なのだ。
作中のアンリ士郎が語っていた元の人格である士郎を基にしたものだから本来は無だというのを受けるとすれば、アンリ士郎は、アンリマユ自身の志向性である「この世全ての悪」と士郎自身の志向性であるこの生、全ての善が同化した人格である、という非常に境界が曖昧な状態である。しかしアンリマユ自身の属性は無であるため、その質は反対でも結果として士郎の性質である暗黒面が出るだけに過ぎない。さきほど言ったように、この世全ての悪の志向性を増幅させるには、桜のようにこの世全ての悪のように扱われた人間が同化する必要がある。強いプラスとマイナスならプラスが勝ち、マイナスとマイナスならばよりマイナス方向に強くなるように。士郎の場合、心の中の暗黒面に属する部分が剥き出しになりそれが彼の人格そのものになるのが黒化という現象なのかと。
作中からでは、アンリ士郎が果たしてアンリマユであるのか、士郎であるのか、非常に判別がつきにくい。一人称がオレ、俺であるなどと使い分けてはいるが、アンリマユが常時憑依している状態には違いない。ただその暗黒面が剥き出しになっている──殻が剥けている──状態かどうかは読み取る読者に委ねられる。
ただ、士郎のこの生、全ての善という士郎が持つ志向性がアンリマユを汚染したのであれば、士郎はアンリマユ自身の持つ、郷愁や憧憬という感情を引き出し掬い上げたのだということだけはいえるだろう。
彼の在りかた
士郎はどんな人間でも救わなきゃならない、と思う人間。救う手立てさえあれば救いたいと思う。けれど、それをすることが非常に困難であることもわかっている、だから苦悩し何かを切り捨てなければ何も救えないのではないかと思っている。でも自分が苦痛の全てを受けて解決するのなら、必ずそれを選ぶ。自分が生きている世界──悪と善が混淆しそれを許す広大な世界そのもの──を愛しながら、自分が生きている世界──必ず幸福の影に誰かが不幸になるという摂理ある世界──を同時に憎んでさえいる。それが理解できないから、士郎は士郎なのだ。
アンリの場合、これが逆転する。自分が生きている世界──悪と善が混淆しそれを許す広大な世界そのもの──を憎みながら、自分が生きている世界──摂理ある世界のあるがまま──を同時に愛してさえいる。
だが、全てを肯定し同時に否定している根本は同一。二人の基本的な性格も変わってないのは当然だといえる。
何も生み出さない憎悪。
日々を円滑に進めていくための空白。
日常に空いた穴、溢れ出す感情を受け入れる廃棄場。なんて都合のいい──何者にもなれない不実の虚無。
──黄金の日々と、黄金の別れ。
「……バゼット、世界は続いている。
瀕死寸前であろうが断末魔にのたうちまわろうが、今もこうして生きている。
それを──希望(みらい)がないと、おまえは笑うのか」
「──どうして、自分だけが助かったのか。それは世界の決めた不平等かつあまりにも雄大な決まりごと。だから、衛宮士郎はその不平等を憎んだ。そのときから、虚ろな空洞が心にある衛宮士郎は、この世全ての幸福を自らの糧とするしかなかった。自分だけが耐えて救われる人間がいるのなら、自分が生贄でも構わない。けれど、死者は蘇らず自身の罪が消えることは無い。その罪業を受け入れ、それでも美しいと感じるものをただ追いかけていく」
それが、全てに幸福あれと願った男の話。
「──どうして、自分だけがこんな不幸なのか。それは世界の決めた不平等かつあまりにも雄大な決まりごと。だからその不平等を■は憎んだ。感情も理性も失った■は、この世全ての悪を自らの糧とするしかなかった。何故、自分だけが耐えて救われる人間がいるのか、何故自分が生贄なのか。そして、失った自分の人生と憎しみが消えることは無い。けれども、美しいと思えるものをただ見たかった。全てを容認する世界とその顛末を希望(みらい)ある限り見守り続ける」
それが、全てに未来あれと見守る男の話。
士郎がセイバーの夢を希望、光と見立てたように、アンリマユはバゼットを希望、光と見立てた。
それが可(ぜん)でも不可(あく)でも構わない。
そもそも現在(いま)を走る生き物に判断など下せない。全ての生命は。
後に続くものたちに価値を認めてもらうために、報酬もなく走り続けるのだ。
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