群青の空を越えて
紹介
群青の空を越えてをプレイ。
人間ドラマのなまなましい描写が好きな自分だからこそこういうのが好きだという部分があるのかもしれませんが、空中戦闘描写も燃えるしシナリオ自体の流れも日常の一部から退廃的なものに移行していく現実の描写は巧い。キレのあるシーンは勿論、日常シーンのセリフ回しはスキップするのを躊躇わせました。ギャグも非常に面白い。
この話には70年安保東大紛争と似た状態という舞台設定らしく、何故かそこに海外までが少しずつ介入しそれぞれの勢力に資金を出している、といったようなところです。
グランドフィナーレまでしないとプレイしても作品の真の意図は伝わらない作品です。プレイ時間自体は意外に結構かかります。フルボイスであることから、また全編通してシナリオに関わらなければならないエピソードのみを抽出することで、自然とセリフは限られてくるし絞られてくるし、また凝縮されていく。結果として、濃い内容になっています。
舞台設定は多分それっぽい未来、あるかもしれない未来(何が起こるかわからないのが歴史ではあるんですが)ではありますが、そこにいたるまでの人間という生物の描き方は非常にレベルが高いものであると思いました。この作品の主目的となる「戦争」は単なる舞台であることを最後に感じ取ることが出来ます。目的は、そこにいる人間がどういう意図で動き、どんな思考を行動に反映していくのか、そこに起こる齟齬と意思と理想と国家と言う流れが描きたかったのだと思えてなりません。
ただ、純粋な娯楽や楽しみを期待している人にはがっくりくるものがあるかもしれません。多少の演出不足も否めませんが、それを引いて余りあるシナリオと声優さんによるフルボイスだったと思います(脇役にまで声がある)。
しかし私は非常に楽しかった、そして興味深かった。最初で厳しい評価を下しても、最後を読んだら、多分評価逆転します。
キャラについて
男性キャラでは指令と藤谷先生がいい。片方はドイツ哲学者のおじさんで、片方は経済学者のおじいさん。女性キャラでは澤村夕紀、萩原真優ですね。とりあえず、20、30過ぎの魅力的な年輩キャラが男女双方多いということで。
大人のキャラをここまで如実に、かつ写実的に描いている製作者は意外と少ない。
子どもっぽい青臭い理論と理想、大人の冷静な判断と全体を見渡す思考を見事に混在させたシナリオだといえます。それを描く為にはその二つの思考を知って尚先を見据えようとする製作者でなければ描けないでしょう。
また、エロゲのロリや萌えやエロというような動物化するポストモダンにたいするアンチテーゼなのかと思ったほど。個人的に、動物化するポストモダンとは大量消費社会における一律化された動物行動だと思っているわけですが。
軍事物であるから、政治、経済などの知識は勿論、戦争論などの倫理的側面からのアプローチもテーマを語る上で重要であるし、相応の知識が要求されるレベルまでに仕上げることは技術的に可能でも、人間を語るには知識ではない視点が必要です。
シナリオについて
この戦争の終結は読んでいる人が結論をそれぞれ出して欲しいという、丸無げで はない真摯なメッセージが篭められているように感じました。社の最後の問いかけがそれを示唆していると考えています。何故そう思うかと言うと、本編で結論を他に求める愚民共と教授が揶揄している場面を思い出したからです。犬のような大衆である我々も、いつかある遠い将来を見て自分で思い描くぐらいしてもいいじゃないか、とこじつけではなく思うのです。結論やエピローグを求めているプレイヤーが多いのは周知の通りですが、この戦争がいつか終わり、終結後のどんな未来を示しても、私にとっては安易にしか映らないだろうと。その終わり方に意味があったんだろうなぁという意義が感じられました。プレイヤーのAS作成推奨はそういう意味があるんでは、とかさすがに深読みしすぎか(笑)
まず、戦争を舞台とさせ、前半三ルートでそれらを肯定する主人公にしたのには理由があるのでは、ということが後のルートを見て考えさせられます。
加奈子シナリオでは若菜が「関東万歳」と言い爆撃に見舞われるんですが、こう言わせてしまう構造が嫌だし、こんなことを言うことに疑問を持たない人間も嫌いです。しかし逆に「○○万歳」と叫ぶなどということは現代にはありえないという人間も、また嫌いです。
どんなフィクションでも作品には人間、擬人化された動物、ロボット……どうあっても人間から離れることはできません。そこにはありえない世界の中だとしても、いくつかの本当のこと、リアルよりも記された真実が含まれています。
「理想や、それを実現するための方法論なんて、合理的試行の結果ではないわ。大概の場合、単なる精神的幼児期の刷り込みよ。それが悪いと責めてるんじゃないの。人って、思っている以上に環境に流される生き物なの。そもそも個人の意志なんて、本当は無いのかも知れない。おそらく、同じ人でも違う時代、違う場所に生まれれば、鬼畜米英・親米反ソと叫びを変え、反日を唱えたかと思えばアジアを蔑視する……それを、高尚な自己主張だと錯覚する愚かな人々が、まだ世の中には残ってる」
「理由のひとつは、寿命の問題だ。人は百年も経てば世代が確実に変わってしまう。人の次の主役がどんな生き物になるかわたしには判らんが、それが動物であれば寿命の制約は逃れ得ぬだろう。そして動物は死ねばその保有していた情報を一切失う」
「人は生まれるたびに一から知識を吸収しなおさなければならないし、所詮経験は真の意味では継承できない。……だから、人は同じ過ちを繰り返す、ですか」
この部分なんですが、現実に起こる心情で在り得、また実際に今起こっているからこそ哀しく思わざるを得ません。それは多分、人間が歴史を経験することはできず、また人生を経験することしかできないからでしょう。ありえないはずは無く、実際に起こっている心理です。作中にも在るように、全ての心理・行動は幼児期からはじまりそこから時間を通して経験した敷衍行動に過ぎなく、昔だから、現代だから、違う世界だから、違う人種だから……そんな別視点は意味がありません。頭の良い人がいくら素晴らしい理論を打ち立てたとしてもそれを実行に移す人間が同様の視野を持っていなければそんなものもは意味が無いと切り捨てられるでしょう。同じことはいくらでも起こります。
例えば、学生が戦争に参加する考えがわからない、意図がみえないという意見もありますが、大概のテロリストの意図や思考は理解できるものでしょうか。論理ではなく感情や感覚が先にあるからこそ生じることを、意図や考えというもので上塗りしても、その真相は見えないでしょう。それを知るには、その人の人生全てを見つめ知らなければならないほど難しいものなのです。だから様々な視点と様々な立場でこのテーマを描く他、なかったのだと思います。
そして何故、関西側から主人公を輩出しなかったのかというのが感じていた疑問でした。戦争をする立場ではそれぞれの思惑があり大切にしているものがあるという描写が前三ルートでしたが、これは必要だったのでしょうか。いわば戦争を肯定し殺人をするテロリストが主人公なわけです。これでは嫌悪感が湧くプレイヤーがいても仕方がないでしょう。けれど彼らはそれぞれ恋をすれば復讐の為に殺人、または対勢力に対しての憎悪を肯定します。そういう、どうしようもない、彼らにとっては絶対的であり、どうしても捨てきれない人間的な感情があるということを示す必要があったのではないでしょうか。
拡大解釈して、関西は保守、関東は革命という立ち位置であると見渡してみると考えることができますが、それをまとめるのは中庸であり、中立ではありませんでした。しかしこの中庸は保守、革命、中立の三対立に押しつぶされてしまうようなありえることは無い理想だったのでしょうか。その答えは作中では示されていません。
国や郷土意識と言った地域コミュニティ間の成立には、自己のアイデンディディー──他者との差別化──の確立を己の出自──この世に生れ落ちた瞬間から、誰からも奪われる恐れのないラベル──に求める意識が少なからず作用している。何故なら人は、意識するしないに関わらず、己が他より優れていたいと望む生き物だからだ。そんな他者に対する優越感を、生まれた場所や民族・性別といった、自己の努力で得たものではないレッテルに求める心は、誰にでも存在する。結局、円経済圏の成立……政治と経済、民族と軍事の分離を根本で阻んできたのは、これまで『俺は何処の生まれの何人だから』としか己を表現してこなかった人々の恐怖心に違いなかった。
本当の問題点は……他社に依存して自己を確立してきた人々の怯える心だ。
「システムは人を幸せにしない。この世界に人を幸せにするものなど何一つとしてない……人は、幸せに『なる』のです」
グランドフィナーレでは、システムの最後は示されていませんが、人の未来は示されています。
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