ブギーポップシリーズ

ブギーポップシリーズで最も好きなのは、霧間誠一氏の本での記述が物語の中で絶妙に絡まっていく瞬間だ。それぞれの章の間に時々挟まれている。

……しかしすべての希望は、結局のところ実現するのは未来においてである。

どんなに人が夢を見て、実現を望んでも、それを手にするのはその本人ではなくその次の世代だ。

しかもその達成は手にしたものにとっては夢ではなく、ただの既成事実でしかない。

すべての願いは常にサクリファイス・オブ・ヴィクターとなるしかなく、だが、それが人を前進させつづけてもいる。

進む道は前にしかなく、人は過去に生きることはできないのだ……

物語を読み終えたとき、この霧間誠一氏の言葉を思い返すと、尚一層感慨深い。 私が高校生当時読んだときは、こういうことを私は言って欲しかったんだと思っていた。まぁ丁度受験の時期でもあったため自分の努力はどこに向かっていくんだろうとかのれんに腕押しなんではないんだろうかとか自分の努力する事自体に疑問を投げかけるような。そういう人間にとってこのような言葉がどれだけ救いになった事か。霧間誠一氏はある意味厭世的でもあり、未来に対しての希望は誰よりも大きいと私は思う。人間の未来なんかないとか全部無駄なんだよと捨てきっているからこそ、読んでいる人間は今まで悩んでいたものが、こんな一言で言い表されるなんて、と肩肘張っていたものが緩んでくる。小説で感動とか泣ける話とかそういうのもあるわけだけれども、今の学生達にとっては一番必要な言葉だったんじゃないかなどと思う。

ライトノベルは一口に言っても色々な作風がある。真面目なものだったり終始笑いで占めていたりなんだか暗い話だったりホラーだったり現代純文学風だったり。そういう小出しに色々な小説の形態を楽しめるのがライトノベルだと私は思っている。だが人によっては文章形態に好き嫌いもあるので、作品単体として誰が読んでも面白くお勧めというわけではない。そのときの状態の自分(読者層は高校生なわけだからそんな心理で)にどんなダメージを与えられるかがライトノベルの真骨頂であるような気がする。そこに文章としての完成度とか小説として成り立ってるとかある程度は必要だがそんなのとは関係なく、じわじわとダメージがくる。ライトノベルって婉曲的でなくもう直接的にボディブローしてくるという感じ。率直的な表現が多いから、比喩とかそういう文章として綺麗なものが好きな人は向いてないと思う。というか頭の中に漫画のようなイメージを補完しないとまず無理。大体書いてる人もアニメとか漫画とかそういうイメージで書いてる人が大半だと思う。小説の手法としては性質自体が違うので比較したとしてもどっちがよい悪いではなく。ライトノベルは鉄の楔を打ち込むという感じ、純文学は楔をゆっくり引き抜かれるというかんじ。どういうかんじなんだか。ライトノベルというのは格調が高い低いと関係なく身近で普通のだらだらした普通の日本人の生活に必要な表現を変わりにしてくれていると思う。そういう意味で共感第一であり、共感を得にくい人がそこかしこにいても当たり前である。

私の場合は霧間誠一氏の言葉が脳にダメージを与えたという話危ない。彼の文章が少しでも出ていたからブギーシリーズを買う上遠野氏の作品全部?というぐらい霧間誠一氏が好き。というか萌え。三十路というところがまたいい。凪と二人暮しというのがまたいい、そして親父さんに影響を受けた凪が活躍する姿がまt(略)

ブギーシリーズで一番好きなのがブギーポップ・イン・ザ・ ミラーパンドラ。冒頭の凪と末真の話はこの話の雰囲気を包括している。夕焼けの中を背景に、ギリシャ神話のパンドラという話で盛り上がりながらの岐路。パンドラの箱を少女が開けたその時災厄が世界へと拡がって行った、だが希望というものだけはその中に残っていた。末真はそれを未来だと言う。他にも諸説あるようだが、こういう解釈の仕方でこのパンドラの世界が構成されていくのか、と思ったあのときのどきどきした感じはもう言い尽くせない。上遠野氏の本を初めて読むなら僕らは虚空に夜を視るがお勧め。ブギーポップは笑わないは上遠野氏の初期の頃なので、文体が今と若干落ちるためこれが上遠野氏の真骨頂だと思われるのが不服。事件シリーズはある程度上遠野氏の世界観を味わっている人じゃないとのめりこめないかも。

今後のビートのディシプリンは凄く楽しみ。

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