読書と読者

なにやら小説のDeep Loveが批判の的の筆頭になっているらしい。こういう表紙を見ただけで完全スルーをしてしまう人間なので批判されているという事実を今まで知らなかった。

過去、日本では殆どの一般大衆は本にも触れられなかった。そこに書物の面白さを理解できない人間がどかどかと入ってきてしまい、市場によって価値が決められたのは「より売れる事」でありその大半を占めるのが一般大衆であったため、新規な価値観を持ち込むものでも新たな知見を示しているのでもない単なる御茶の間の娯楽となってしまったということなのだろう。

多分このような作品は、ブギーポップシリーズでも語ったようにライトノベルの様な共感性によるものだろう。筆者の文章能力がどういうものかというのはまた別の話だが、こういう小説が売れたり批判されたりするような原因は読者によるものが大きい。例えばこの小説が売れずにぽつんと駅前に置いてあったとしたら誰もここまで批判はしなかったし、読者も増えなかった。

『ディープラブ』流行についてマジメに分析してみる。の萌え概念から見る考察はなかなか的を射ている。多分その世界に完全にシンクロできる人間が感動した! あなたも読めば感動!みたいな事を言うのだろう。そういう傾向はどの世界でもあり、例をあげればギャルゲーなどの盲目的な信奉者、若しくは同人界のそれぞれのジャンルの盲目的な信者は、そういう事を簡単に言ってのける。そして他人に薦め、こちらが受け入れないとなんで感動できないんだとまるでこちらを非人間であるかのような扱いをするようになる。ここまでテンプレート的な動き。

そして、致命的なほどに客観的な視点が抜け落ちている事はいうまでもない。批判する人たちは、読者の客観性の欠如に少なからず嫌悪感を示しているような気がする。この本は共感共通概念が最初からあることが前提としてあり、そしてそれに共感する人間がかなりの数に昇る、という点では興味深い。

ここまで有名になって批判される作者もちょっと可哀相だなぁとは思った。でも少なくとも文章は努力したほうがいいのではないかなんて素人に云われたらね『ディープラブ ホスト編』を読んでみる ―第一章「絶望」での書評を見ただけでいろんな意味でお腹一杯。目から鱗、こんな文章を見るのは人生今まで生きてきて初めて、そんなカルチャーショックで今打ちひしがれている。なんというか、人生経験の足りなさ、現実認識の甘さから生じる語彙の貧困さが感じられたのだがなんて若者に言われたらね

文章にある種の可愛さは感じた。小説を描くのもままならないけれど一生懸命努力して書いたというような小さい子の文章を温かい目でこれからも見守りたいと思えるような、そんな。商業の文章に可愛さなど要るか、と言われればそれまでなんだけれども。

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