漫画という媒体
松文館裁判
見て驚きました。どういう意味で驚いたのかというと、性的表現が過激ということで実刑判決が下されたという事です。一体全体どういう根拠なんだろうと。こういう事件がヒートアップしてメディアではまた妥当性のない表で根拠が作られるんだろうな。それは思い込みたいという根拠でしかないわけですが。個人的な勘や感覚は性的な表現自体は悪ではないと告げてるんです。これにも何の根拠もないですが、根拠を作っていかなければならないんですよね。反対意見側と同じ穴の狢ではありますが、それでも、自分のしていることは間違っている事ではないと証明したいからです。おそらく反対意見側もそうなんでしょう。それでも、相手を先制攻撃するということには正当な正義と根拠を求めたいのですが、それもない。一種のプロパカンダですよね。
漫画という媒体は複製されるので被害者が誰なのかということはきっと分からないままでしょう。読んでる人は勿論楽しんで読んでいるのだから。人間の気持ちから生ずる行動というのはカオスで分からないことだらけです。実質的な被害者がいないということは理論上のデータや思想や理屈のみで語られます、というかそれしかない。青少年といっても色んな人間がいるのはあたりまえのことです。精神的に未熟な青少年もいれば大人以上に成熟した人間もいる。それを分かった上でやっぱりひとくくりにしないと進まない議論。だから、反発する思想同士は根本的な決着というものはおそらくつかない。裁判という一応の落着があるだけなのでしょう。
購買層が子どもでもひどいものは少女こ○っくでもあるんですけどね。私は、性器事態が問題ではなく、その性的表現を取り扱う際の思想というものの方が恐ろしいと思っているので、性器描写云々を問うよりもむしろレイプからはじまる愛をどうにかしてほしいと本気で思います。
性表現と資本主義
性表現は人間の本能の部分を刺激しますから、大体のツボは押さえたらある程度手抜きをしても売れるに決まっています。だから、資本主義なんです。そこには芸術へのプライドも、伝えたいこともなくても、自分にはおつりが還ってくる。人間は本来楽をしたい動物ですから資本主義の波に乗ってこれだけ楽をしても大丈夫というテストをしつつどんどんこれだけ手を抜いても大丈夫という境界線ギリギリまでいきます。そこには、受け手の影響というものはだんだんと考慮されなくなっていく、という構図ができあがるわけです。受け手の影響を考慮するという事は、作り手にとって一番難しいものです。
資本主義が蔓延して飽和している状況が今の日本のような気がします。だから、資本主義自体を問題にはせず、資本主義の流れを受けたものが攻撃を受ける形になっています。その中でも思想に関するものが。
車も資本主義の恩恵を受けていますが、大勢の顧客でも悪であるとかそういう問題は出てこない。出てくるのは車自体ではなく、業者の態度や振舞い方です。そして車自体が悪いということはない。それは、作り手と車には相互に思想が結びついている要素があまりにも少ないということです。車は顧客のああしたいこうしたいという願望も入ってひとつの車というものができあがっているんですから。
物質媒体を通じた思想と、感情一本で作られる漫画は、作り手の思想が大きく反映されます。人間の感情って自分でもわかってるようでわからないんですね。自分でもわからない感情がふつふつと煮え滾ってそれが集合すればひとつの集団としてできあがってしまう。
昨今の性表現に怒っている人たちは考えた事があるのでしょうか。何故、自分は性表現に対して怒っているのだろうか、それは怒りなのだろうか、何故怒らなければならないのだろうか一口には言えないものでしょうね。それもまた思想というものです。
思考
それでも、訴える側の気持ちも分からないでもないんですよね。それが実質的な犯罪に結びつこうと結びつかまいと、自分の知っている人間が自分の知らない世界に洗脳されていたという気分でしょうし。子どもと大人の確執はここでもありますね。洗脳されているなら逆に洗脳してやるというイメージが飛び交うのは気のせいでしょうか。世論操作あらぬ子ども操作であるという気がするのは。私たちの世代の世界はどんどん変質しているのですから、知らない世界があっても当たり前です。それを世界の変化だと割り切ることが出来ないんですね。大人は、自分たちはまだ世界を変えられると思っている。そして子どもを保護しようと思っている。明らかに子どもにとってはよくないことを大人はどうしてするのか。以前からこの現象は普遍的なものだったのか。それとも団塊の世代と私たちの世代とのだけの特徴なのか。
ひとつの事柄を見て考えられることは、そこに何の意図が含まれているかということと、目的は何かということ。少なくとも、何かの行動を起こすには何らかの意図と目的はあるはずです。文章のなかに含まれている思想を抽出して比較検討することで少なくとも鵜呑みにすることだけは避けられると考えられます。後はもう経験と勘に頼るしかありませんが。
漫画という媒体が悪い、という結論に導く論理は本当に青少年によかれとおもってやっていることなのか考える必要があるのではないかと思います。
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