批判とその受容
どちらも駄文にゅうすさんから
記事を読んで、うんうんと頷きながらも、自分は果たしてその批判を嬉しい気持ちで受け取れるだろうか?とも思いました。 以前批判して頂いた事もあります。批判という感想が来て参考にしてお礼を言いたいと思ったものの、辛辣な言葉で当時はへこんだものでした。けれど今振り返れば、あの言葉はなんて有難いものだったのだろう、と思うようになりました。当時どうしてあのときありがとうと一言いえなかったのかと後悔しています。けれど当時それでへこんだからこそこんちくしょうと思い、少しずつ拙い人間ながら努力もしてこれたのかもしれません。それに、文章に費やす時間もかかるだろうにわざわざ批判してくれるなんて私にはありがたいものです。
もしもその批判してくれた人と同様に自分が批判する立場に立つとき、相手に考え方を改めることを決して期待してはいけないとも思いました。 以前そのように相手に期待してしまい、相手に多大な迷惑をかけてしまったことがあるので、批判する立場に立つ時、何のために私は批判をしているのかというのを考えなければならないと心に留めています。 批判する、という行為そのものはお節介かつ優しさあるけれども、根本はそれらではなく、結局は何のためにそれをするのかということに行き着くのではないでしょうか。
まだまだ成長過程の人間も、賢い人のいいところは受容して見習い、ちょっと変だなと思った人の行為は自分なりに考えて反面教師にするのがおそらく批判を受ける前に自分でしなければならないことなのでしょう。
難しいけれど、これだけは忘れたくないと思います。
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