自己チュウ排斥運動

自己チュウという言葉がある。別に説明しなくても知っているだろうが、一応言ってみる。自己チュウとは自己中心主義の略称である。人の苦労や迷惑など省みることない存在しているのはまるで自分だけであるような態度をとる人間のことを指す。自己中心主義者はその態度を自分自身認識して嫌われることを覚悟して行為するが、自己チュウはおよそ自覚もしていないし、むしろ被害者と考えている点が微妙に違っている。

メールなどでも被害に遭われた方も大勢いるのではないだろうか。鬱陶しくてそのまま切っちゃった、とか。相手が自分のことをまったく考えていないと判断するのなら遠慮する必要は無いが、その逆、つまり自分が相手のことを考えないで切る行為に及ぶときが自己チュウともいえないだろうか。自分が勝手に怒って相手を不愉快な思いにさせていると気付かず、どうして分かってくれないんだ! と思い、相手のことについて考えることを諦める行為をしているかもしれないのだ。自己チュウが自己チュウを呼び、お互いにやあやあ我こそは被害者とか、あなたの言葉に傷つきましたといっている滑稽な光景も目にする。ただ普通の人間ならばある程度自己チュウなのが通常である。だから、上記のようなことは日常茶飯事にどこでもあるのが普通である。

だが、なんとなく気付いたのだが、どうもここのところ自己チュウと名指しされる人種が出始め、社会的にも対人関係的にも隔離されているような気がする。そして誰も個人的にあんたは自己チュウで最低だとは、言わない。

だが、自己チュウ隔離は昔からあったことなのかも知れない。自己チュウはその場の集団の空気を崩し、なんとなく当人以外の全員が言い知れない不愉快感に襲われる。ここ数年に出来た自己チュウは新しい新種だと思われているが、昔からあったのだろうと私は思う。ただ、異端とつまはじきされていたから存在すら薄かっただけで。

ここのところ自己主張というものに正当性を帯びている感があるから、自己チュウと呼ばれる人種は市民権を得て、遺憾なく自己主張をし、個人や集団を不愉快の渦に巻き込んでいる。

そしてまた、自己チュウだと思われる人種を作り出し、自己チュウという人間がいることを認識しようキャンペーンが開催された。幼い子どもが~虫ですという絵を書きCMに流れていたのは記憶に新しい。そしてそれをして何をするつもりなのか。自己チュウ本人がそのCMを見て、私って自己チュウなのねと反省を促すものなのか。そういう人間がいることを国民に浸透させ、あんたは自己チュウだと自己チュウ本人に言い、更生させようという活動なのか。はたまた、こういう人に近付いたらいけません的なものなのか。

どっちにしろ結果的には3番目になりそうである。何故なら本物の自己チュウはそんなCMで反省しない。馬の耳に念仏というやつである。異端は排除せよという社会構造であり、自己チュウすらも傷つけないように言わないほうがいいという社会構造だからである。CMに放送されてますます子どもは自己チュウ自己チュウやーいやーいという新しいいじめを作り出しそうだ。いまどきの子どもはやーいとは言わない。

CMの効果はあまりにも薄い。むしろ異端者排斥という新しいいじめや差別を生みだしているだけではないか。

そうなると、ますます自己チュウは孤独になる。いや、本物の自己チュウは孤独という概念すらもないのかもしれない。だが、不幸に不幸を重ねるとはこういうことなのか、と思う。泣きっ面に蜂という諺があるが、あれは偶然に偶然が重なっていることではない。蓋然的で、局所的な事象なのだ。自分も自分の中に自己中心的な部分があるからこそ、そういう異端自己チュウを排斥する。誰もがそういう意味での加害者になったことは、一度はおそらくある。だが、それを正当化しようとするこの雰囲気がどうも私には解せない。

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