未熟性におけるファンタジー小説の影響

ネットでファンタジーに対する考察に対する考察に(略)

自分は結局の所、論理的ではなく感情を前提にして書いているのでおそらく文の端々に感情的なものが混じっている事と思います。ですが感情論剥き出して語るとなると自分もその創作小説自体に関わっているという事もあり、自分で放った言葉はやはり自分に返ってきますので、こういう事を書くことで同属嫌悪じゃないかとか思う方もいらっしゃるかもしれませんし敢えて論理的になるように努めました。その為に自分の主張を押し隠したため、論旨の一貫しない文章となってしまってますね。そんな記事に反応してくださったイソムラさん有難うございます。

余談ですが、世界を知らない一般人 でも述べた通り、"虚構の世界へ逃避できる保証があって初めて"逃避するのだと考えています。なので、"現実逃避からファンタジーが作られるのだとすれば"という仮定はやや違和感を覚えます。彼らが現状、現実逃避しながらファンタジーなるものを創作しているとしても、ファンタジーという受け皿がなければ彼らは現実逃避などしなかったのではないでしょうか。

仰られている通りです。記述間違いゆえんの問題ですので訂正致します。私も凡そイソムラさんが仰っている事に同意です。そもそも受け入れられるという保障や確信大勢がしているからという思考がなければこのような普及は有り得ないでしょう。

そういう安心感から来る自分の中で作り出した保障や確信を持ち、安易に飛びつく人が居る。WWWという危険性を知らないまま情報を開示する人も出てくる。そしてそれらが許容される傾向にあるのが昨今のWebでもあります。

何故ネット上でファンタジー小説が盛行しているかについては、ひとえに読者もそれを求めているからだ、ということが考えられます。純文学のような現実味や文章に深みのあるものではなく、迫力や読み終わることの簡単さやさらりと読み流せる簡単さがまず求められているからこそでしょう。そしてWebで活動したり閲覧する年齢層は、まず後者を求める年代層が多い。ファンタジー小説が流行するのはここにあるのかもしれません。

そして書き手も、まだ社会的に成熟していない学生が多い。子どもの頃は社会に認められたいという欲求が強いため、読者との癒着が強くなる理由もここにあるのでしょう。社会的に未成熟な段階で他者からの評価を受け取るとどのような影響があるのかというのも、イソムラさんの指摘された共通体験の影響ネットにおける創作物は批判され辛いことに加えて更にもう一つの問題として考えられます。

読者は、まだ自己判断が未成熟な人が向こう側に居たとしても、それをネットの性質上正確に判断できないため、創作物としてある程度良いものであれば感想を送り賛辞します。不幸な場合、お互いに寄り掛かりすぎて感想無しでは創作が出来ない状態にまでなってしまう。良い創作物とは、このような動機で果たしてできるだろうか、というのが私の疑問です。子どもと一口に言っても聡明な人から無自覚な人までいますから、必ずそうなるというわけでもありませんけれど。

子どもの頃少なからずともファンタジーの映像や文章を見聞きしている。そしてネットにおける儀礼的性質からの癒着から、子どもの頃に培われる筈の向上心からの上達というものがなくなる危険性があるのではないか、ということを主張しておきたいと思います。

まぁこの際ですから単刀直入に言って置こうと思います。

書物の普及と浸透は、より参入が簡便化された現在のWWWにおいて、読者と創作者を癒着させる傾向にあります。読者は創作者に癒着せずもっと良い作品を良い作品だと見極める努力を。創作者は読者に左右されない覚悟を決めて欲しいと願っています。癒着は、その間は両者にとって心地よいものであるでしょうが、おそらく両者にとって良い結果とはならないでしょう。

ですが、やはり認められたいという欲求は、上達したいという欲求よりも、強いものなのでしょうね。ものを創り上げていくということが本末転倒にならないように、私もこの事を肝に銘じたいと思います。

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