PDOS(心理的無組織化症候群)
例の佐世保事件。
彼女はこのような結果が起こるという事は予測し得なかったのだろうか。予測し得ていたのかもしれない。小学生だとしてもそれぐらいの想像力は容易にあるだろう。人を殺せば犯罪である事など小学1年生でも既に認識している。
それでも、何が彼女を駆り立てたのか。
私が小学生の頃といえば身近にあるトラブルを回収する事事態に手が一杯で余暇も余裕も無かった。そして、全てが新鮮で、どんな古い遊びも新しい遊びも、全てを楽しく、苦しく感じていた。
そのような楽しい事を考える事がないのだろうか。人間一人一人を観察し、それらが自分自身に与えてくれる事に日々感謝し、お互いに感謝の返しあいで楽しく過ごすことはないのだろうか。
何が教育だ。
なにやら、プログラム駆動症候群をまざまざと見せ付けられた感じだ。
セリフも行動も、心から生じてるのではない子ども達がいる。全ては何かのテレビやアニメや本であったお決まりの文句や行動だ。心がないから、とりあえず行動するために何かから引用してから行動する。逆に言うと、そういう行動をしていくと心は喪われて行く。
だから、ふと思いついたことでも実行に移すし、何か悪い事をしているという実感はあっても興奮感情がそれを凌駕する。彼等は興奮のために行動する。興奮を得るためだけに行動する。中身のない、意味を持たない、基準を持たない、前後のつながりのない行動を。
そのまま無造作にその心を放って置けば、今回のような事件は簡単に生じてしまう。暇つぶしであるかのように簡単に。
原因として考えられるのは、先述の心を失った故の行動、そして余暇の拡大による行動であることが考えられる。余暇が増えればそれだけ思考乃至は妄想が増大する。そして心を持たないが故に、その思考は最悪の方向までも簡単に人間が人間であることの垣根をひょいと簡単に越えてしまい、そして行動してしまうのだ。
自分の行動で周囲に影響を与えるということは頭で理解していても、肌で感じているという事はない。人が死ぬという事実は理解できていても、自分の業の深さを理解することはない。
それを防ぐ方法はあるか?ある。大人や周りの人間が心を持って接する事だ。義務でも事務でもない、感謝と奉仕の心だ。
だから資本主義は嫌いだ。子どもから心を奪うな。
被害者を失った関係者の気持ちを考えるだけでもつらい。加害者の親の気持ちを考えただけでも察するに余りある。
プログラム駆動症候群という症候群にあてはめるという安易な真似をしているわけではないが、このような定義から現在起こっている事について考える事は有意義ではあると思う。この定義は三森創さんが定義したものなのでその辺りはご了承を。
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