子どもの現状とカウンセリングの現状

子どもはそれぞれ、その環境下で自分なりにその場に適応していこうと努力している。その、適応しようと努力している子どもこそが、いい子をせざるをえなくなっているのが現状であると私は考える。学校という環境は、社会への参入という意味で初めての共同体が構築されていく。その中では、社会というだけに、自由気侭な行動をとる子どももいれば攻撃的な態度をとる子どももいる。同様に、大人しい態度の子どもも自然と発生する。

日本では、各学校で特別学級を設けている。だが、それ以外の子どもは全て平均的な能力を持つものとされ、その中で競争することになる。それが問題なのは、子どものそれぞれの能力差を認めていない点である。まるで子どもに能力差があることがタブーであるかのように、誰でも同じように学習できると思われている。能力差が一括した基準によって、子どもを出来のいい子と出来の悪い子という自意識を植え付けていく。自尊心も、年齢が上がるにつれ高い者と低い者は大きく乖離していく。それが、適応しようと努力している子どもに、自発的、創発的な行動を抑制している根本原因であると私は考えている。大人に期待されたいい子であるしか、自分の中に自尊心を作り出す方法を知らないのだ。

生涯教育がつい最近になって日本では喧伝され始めた。だが、それでもエスカレータ式の進学を望む親はまだいる。なぜなら、生涯教育と喧伝されているだけで、実際的な解決とは未だ至っていないからである。親の子どもに対する将来の不安はそのまま、経済的安定が望める進学を薦めることになる。その進学も、親の経済状況の如何で進学もままならない子どももでてきている。より進学した人間が社会進出でき、そうでない者のなかには自尊心が低下するものもいる。それらの構造が改善されなければならない事は言うまでもない。

自発的で、創発的な行動をとることがストレスとなる子どもももちろんいるのだが、そのときに手助けをする人間が周りにいなければ、その子どもは自発的、創発的な行動をどんどん学ばなくなる。学校はその面で、子どもの生活の大半を担っているため非常に重要となってくる。だが、日本の学校教育は、現在、子どもの自己表現の機会そのものを失する構造になっている。大変残念であるが、現在の日本の学校教育は、経済を支える人間を育てるという名目は違うが、教育という概念の根本からすりかえられてしまっているのが現状である。その構造に迷い込んだ子どもを救い援助するのも非常に大切であるが、それはやはりざるで水を掬うようなものである。

カウンセリングという方法ではもしかしたら本当の自発的な行動を促す、ということは難しいのではないだろうか。学校カウンセラーと、学生と教育、学校の問題がどれほど根深く複雑化しているか。それを踏まえ、私は子どもの教育という問題についてこれからも考えていこうと思っている。

引用文献
三森創 1998 プログラム駆動症候群 新曜社
今井むつみ,野島久雄 2003 人が学ぶということ―認知的学習論からの視点―
今井むつみ 1997 ことばの学習のパラドックス 共立出版株式会社

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