クオリアと諸概念融合
しりとりリレーコラム
クオリア
クオリアという概念があるが、この概念を理解するにはある種の悟りが必要だと感じる。
例えば赤い花という物質がここにあるとしよう。それをあなたは何故、その花と名付けられた物質の塊を赤いと認識できるのか。脳生理学者はこれに淡々と答える。脳の判断だろうと。だが考えても見れば、脳の判断だとしても、他の人間の脳を見て脳ではこういう判断があって云々だということは今はまだ解明する方法が無きに等しい。主観性というものは自分の中でしか感じる事が出来ず、自分の中で処理されるものでしかない。
ただ、その主観性が集合すれば、ある一定の集合的価値を集団は見出す。それが生物の生存にとって有利だからだ。
このようなことを考えた事があるだろうか。もしかしたら、これは自分の夢でしかない世界なのかもと。若い自分は閉じた世界で生きていたためこのような考えも浮かんだ事があり、その考えに恐怖した。自分という得体の知れなさを恐怖という形で味わったのだ。恐らくそれが、クオリアという概念を感じた根本原因であろう。
脳生理学者はこの概念を聞くとそんなことを解明することは不可能だと答える。このクオリアの概念から科学的な試みの発足は、形而上学の概念をも揺るがす。先達の哲学とこれまでに解明されてきた科学としての実証を踏まえて理論を重ね、これまで交わる事の無かった哲学と脳科学との融合を実現しようと試みている。
主観性の問題は、時間に関しても疑問を投げかけてくる。
現代物理学では、時間の中で「今」には何の特別な意味もない。心の起源を明らかにするためには、最終的には、「今」(Now)が特別な意味を持つような時間の構造をつくり出す必要がある。
空間の中で、私という視点が占める特別性と、時間の流れの中で今という時点が占める特別性の間には、何らかの内的な関連性があるように思われる。
脳の情報処理プロセスの中には、明らかに非局所的と見える側面がある。この非局所性(non-locality)は、量子力学の非局所性と必ずしも関連性をもつとは限らない。むしろ、量子力学との関連で言えば古典的な時空から、相互作用同時性を通して構築されるある種の非局所性と関係している可能性がある。
私たち人間には今、過去、未来という概念が存在するが、物理学ではこの時間の流れというものは無いのだ。理論の上では時間というものは存在しない。だが、時間という流れが存在する事は、覆しようの無い事実なのだ。これを、どう説明するかというのもクオリアという概念で解明しようと試みている。
脳生理学では、脳の記憶に関する部分がそれを生じさせているだろうという事だ。記憶に未来はないが、記憶によって過去を作り出す事で、少なくとも今は過去にとっては未来という意味になる。記憶、保持、推測、という脳の機能によって人間は「未来」を感じ、時間を感じ取っていると考えられる。
だがそこにもまた主観性は大きく関わってくる。つまらない時間を過ごせば、その時間は自分の中で長く感じ、逆に楽しい時間を過ごせば、その時間はあっという間に過ぎてしまうだろう。時間というのは曖昧で、そこには物理学者もメスの入れようがない。クオリアは、哲学から物理学などまさにそれぞれの別たれてしまった分野を一つにすることを可能にする重要な概念ではないだろうか。
謝辞
クオリアという概念の短い紹介のようになりましたが、バトンを渡してくださったHALの咲村さん、ありがとうございました。ご清聴誠に有難うございました。
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