言葉について

もてたいという単語が文脈の中で飛び出したとき、なんとも微妙な気持ちになる。私はつきあうという概念が理解できないと言うとどういう人間だと思われそうだけど彼氏(彼女)できちゃったという言葉も彼氏彼女つくりたいという言葉も子どもつくりたいという言葉も理解できない。恋愛は多少は理解できるが、上記のような言葉と組み合わせで言われる事が多いので、好きではない。もてたいも同じである。こういう言葉を言う人間は、おそらくたとえ彼氏や彼女、恋人がいるようになったとしても、その人間を一人の価値ある人間として認めるようなことはしないだろうな、と私は唾棄する。その人間は自分を賞賛するための背景でしかないのだろうな、と。これが普通なんでしょうかね、自分が理想主義者なだけか。

だいたい、どこの馬の骨(一人ひとりの自分のこと)かもわからないくせして、「もてたい」などみのほど知らずもはなはだしい、ということである。「もてたい」とは世間がつくりあげた幻想の欲望でしかない。まあ、それに引きずられるのも人間ではあるが。たったひとりの異性から好かれる事さえ、本当は大変なことではないか。もし好かれたのなら、「ありがとう、ご恩は一生忘れません」といってもばちはあたらないくらいのものである。

同感だな、と思った言葉です。自分と関わってくれた人間すべてがありがたいと思う。自分がはた迷惑な人間であるだけに。

高校生の時、とても明晰な担任の先生に出会ってすごく感化された。あの先生がいなかったら私は今ごろもっとひどい人間になっていたと思う。当時はほんとアホだったから。感謝してもしきれない。教科書の内容を面白いものにできる先生もいるのだ、と感銘した。たとえその先生が今自分と正反対の考えを持っていても、それでも先生への尊敬はおそらくなくならない。でも多分私のほうが議論では負けるだろうけど。

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