身体を動かす、脳を動かす。
以前、合気道を部活動として活動していた事がある。私はそれまで美術部やら慢研やらと身体をほとんど動かさない部活動をしていたわけだが、運動部に入ることで自分の生活が一変した。
ただ毎日の忙しさに奔走する日々にゆっくりと思索に浸る暇さえ与えられなかった。休日は各学校合同の部活動があり、だらだらと寝る暇さえままならず毎日が張り詰めた弓の様に緊張していた。
これまであまり身体を動かさず考えてばかりいる毎日だった。その為、高校生時も精神状態は追い詰められた表情をしていたに違いない。それが運動部で活動をすることで思索に耽ることをしなくなった。できなくなった、と云うべきか。
身体を動かす事によって身体を動かす事そのものに脳の労力を費やすようになったのだ。
人間というのは何かの刺激を求め、感じなければ発狂してしまうという事がある。心理学で云う感覚遮断実験は、被験者から音、皮膚感覚、光など殆どの感覚刺激を取り払い数日間過ごす実験だ。被験者は後に幻覚や幻聴に見舞われたという。洗脳実験でもこれらが採用され、感覚遮断させた後に洗脳に必要な情報だけを与える。すると与えられた人間はまるでひよこの刷り込みのような状態となってしまう。
身体を動かしているときは身体への刺激に意識をむけ、身体を動かしていないときは自然と思考の方──果ては妄想へと至ってしまう。感覚遮断によって幻覚や幻聴を呈するのは、身の回りの刺激のなさを自らで補給していると考えられる。
運動部の活動をしていなかった自分にとって、自分がかつていた状況がどのような恐ろしい状況下にいたかが理解できるようになった。客観的、第三者視点をやっと把握する事が出来たのだ。
ということで、気分が優れない時はマラソンでも何でも身体を動かそうと思った。
「本ばかり読んでないで外に出なさい」という母の言葉は祖母、そして曾祖母の言葉を受け継いだものだろうが、昔の人はこんなこと考えるまでもなく当たり前の事だったのだろうなぁと思う。
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