とある学生の日常

私は廊下を歩いている。 百二十年という歴史ある校舎が壊され、改築したこの六階建ての建物―――築一年のO高校は、今年の入試倍率ナンバー一である事は否めない。 百二十年の歴史を壊さないように、アーチ型の格子窓は正面玄関に残され、かつて軍人養成学校であった名残のあるシャンデリアやかつての備品は、展覧室に飾られている。 去年まで私も改築終了まで一時的なプレハブの校舎で授業を受けていたのだが、今年からこの新しく生まれ変わった「エレベータ付き」、「有名建築家設計の学校」、「県下でも上位の県立高校」という御達しとともにこの学校に来ている。

「失礼します」 私は淡い桃色のドアを二回鳴らしドアを開けた。ドアはスムーズにスライドした。 おずおずと内気そうな自分を見せながら職員室に入る。 「おお、Kか」 「あの…、先生、昨日の小論文、添削してくれましたか?」 先生は少し気色ばんだ。 敬語くらい少しは使え、それに少しは遠慮しろ、とでも言いたげである。 けど、先生は大人だから言わない。

「ああ…、そうだな。どこ置いたかな」 と言うと、散らかり気味の机の奥の方から分厚いファイルを取り出し、机に置いた。重そうな紙の音がした。 「そう、これだ。えっと…」 先生はもう一度確認して、私の目の前に、赤で添削した紙を見せた。 「ちょっと…話が飛躍しすぎかな…」 「そうですか?」 先生は自分が予想していたのとは違う反応を返してきた。自分では意外と上手く書けている、と感じていたからだ。 「もうちょっと字を丁寧に書いてくれ」 なんとも面倒くさそうに私の手元に返した。

沈黙が流れた。 私はなんとなく帰るタイミングを逃してしまい、三〇秒ほどその沈黙の中、先生の椅子の横で佇んでいた。 この状況はかなり辛い。先生のほうから何か話題があるか、先生の方から戻るように言ってもらえば、私は喜んで帰ったかもしれない。 それほどショックではなかったものの、反応が自分の期待を裏切っていたという…身勝手なことではあるが、そういう反応であった以上、言い返すこともできない自分には、そう言ってくれた方が有り難かった。 「あの…」 「ん?」 どうやら先生の方も聞いて欲しかったらしい。だが、「あの」と聞いてみたものの、先生に出す話題はなかった。咄嗟に思いついたことを言った。 「先生は、私の文章のどこを見て飛躍していると思っていたんですか?」 今思い返してみると、飛躍、とういうのは否定的とも肯定的ともとれる。だが、小論文に飛躍は必要ないのだ。 理路整然と、原因と結果と展望を述べる方が良いとされている。 それに、自分でこれを書いているときや出来たあとも、まさか飛躍しているとは思わなかった。 私は先生に紙を突き出した。 「んー……」 先生は紙面を眺めたままだ。 「はっきりしてください」 「ま、もうちょっと新聞を読め」 私は溜息をつきたくなった。だが、ここでするわけにもいかない。 「…はい、がんばります」

では、と言い、私は逃げるようにして職員室を出た。 ドアを閉めて大きな溜息をついた。しかし廊下を歩いている生徒にその姿を見られてしまった。ここは二年生の教室だった。 六階建ての建物なので、普通科の一年生は五階、二年生は四階、三年生は三階となっている。六階が食堂、二階が理数科の教室。一階は玄関、事務室、保健室がある。 それまでは普通なのだが、職員室が今までの職員室とは一風変わっていた。 職員室は、先生の科目毎に部屋割りがされていたのだ。

つまり、先程私が質問しに行った国語担当のS先生は、四階、数学担当の先生は三階、社会担当と英語担当は五階というふうにである。 総合職員室も勿論あり、それは二階にあった。つまり玄関から一番近いのである。 残念ながら、エレベータは先生でも使えないことになっていた。障害者や来客用のエレベータなのである。だから先生達も頑張りながらこの六階建ての建物に挑戦している。 ただ、たまにエレベータに乗っている生徒を見かけないわけでもないが、先生に見つかったら勿論怒られるだろうから、告げ口はしない。こっちにまで火の粉が降りかかる。 それにしても、もうちょっと真面目な応答してくれても…

時間がたつにつれ、私は腹が立ってきた。もっと真面目に見てくれると思ってたのに…、と思うと自分がこの文章に費やした時間を返してくれとすらいいたくなる。 それにしても、自分の文章はそんなに飛躍しているだろうか。 確かに、よくよく読んでみると、他人から見たら理解し辛い箇所が何箇所かある。

それは、自分がいつも思っている、世界のことについて―――だ。