幸福と慈愛の果てで逢おう    -------------------------------------------------------    【glas-gather】  http://glas-gather.org/    真皓 伽夜  [短編。崩壊後の世界と点在する集落。青年と少女の物語。]    -------------------------------------------------------    一世紀前の遺物だ。  地面から、物理的に可能な限りを尽くして生えた、大型の、ヒトが作った建造物。  それが未だ、風雨を凌ぐためのものとして住民に利用されているようだ。  私の意志にフィルタースクリーニングされた、都市だったときの建造物は一層色褪せたガラクタの寄せ集めに見える。  私たちの靴との摩擦地点から細かい砂の粒子が風に乗って舞っていた。息を吸うと思わずそれを吸ってしまいそうになる。  不思議な着物を羽織った人々は建造物から少し離れたところで食料調達のための行動をしていた。人々の顔の周りに白い繊維質でできたものを着けている。  なるほど。あの繊維質が粒子の口腔内の侵入を妨げているというわけだ。  この瞬間にも、いったい私の隣の人物は、何を考えているのだろうか……。  私はこのような、自分が不思議だと思考したとき、彼女の横顔をちらりと見る癖がついてしまっている。  彼女には感情の変動が顔にあまり現れない。よく見ると頬の辺りから目尻にかけての筋肉が弛緩や収縮するのを観察できるのだが。  殆どの人々は密度の高い熱を逃がさない性質を持った、羽毛の寄せ集めの防寒着を羽織ったまま、なかなか動こうとしない。否、無駄な放熱をできるだけ避けようとしているのか……  そういえば私の手は少し冷たくなっている。環境の変化に対して鍛えているとはいえ、自分の着ている布では、この地の環境に対しての防寒効果は皆無に近い。  今私は、私の隣にいる少女の代弁者として今筆をとっている。  旅をしていたとき、何もいわず、何の脈絡もなく、何の理由もなく(あるのかもしれないが)私の後ろをいつのまにかついてきていた。けれど私は何もいわずそのまま行動を共にしている。この話を聞いた誰もがこの私の行動を奇異に思うかもしれない。しかし彼女は、同じ旅人という雰囲気、匂いがした。  そのままもう何ヶ月も、共に旅を続けてきた。  私がこの文章を書くのは、この少女のことを書こうと思ったことがきっかけとなる。  一人旅よりは楽しい項目が増えた。  旅をする理由はそれで十分だ。        その集落を離れ、疎らに生えた木が群生している場所に私たちはやってきた。  彼女は早々に私の前を駆け足で走っていった。  しかし慌てることでもない。ここは迷いそうな場所だが、彼女はそんな失策はしないと私は勝手に考えていた。  案の定、彼女はメートル単位で数えられる範囲内で、立ち止まって私のことを待っていたようだ。それを彼女は見つめていた。目を瞠っていた。何世紀前の遺物だ。……つまり、わからない。  崩れかけのオブジェ。  日光に反射して、金色に輝いている。穏やかな微笑を浮かべた像だ。何かの象徴のようにその部分だけ際立っていた。美しいというのはこういうことを言うのだろうか。  美しい? ……何故? 「……かみ……だったのか」  呟くように彼女は言った。        ……私は、彼女の言動に興味がある。以前サル科のような、肌の表面に毛が生えた種族の集落へおりていったときだ。 「なんでおまえはそんなかっこうをしているの」  腕や足から防寒の役目を果たすための毛がある少年から、栗色の長い髪の毛を持つこの少女に向かって喧嘩腰に問いかけていた。すると彼女は、 「しらないな。その問いは言葉での境界をつくり相手を別視するきっかけだ。何が一般か、常識かを踏まえての質問ではあるが、生物のシステマティックな部分の認知にややかけている。そうだな。織り畳まれた空間認識は、微小管によって着実に、私にとっての昔も今も焼きつけられる。私の身にかかる認識や事象は、ほんの些細な出来事、世界の中の小さな欠片にしか過ぎないのかもしれない。恐らく全ての出来事はこのように、極めて個人的なものでしかあり得ないだろう。主観性の境界にあるクオリアが相互作用の物体にあることを証明できない今、思いと想いのウロボロス環の頭で尻尾を銜えてぐるぐると果てない円環を辿っているだけには違いない。だがなら、なぜお前はそのような格好をしていると問い返すことで私の主観性や存在性はホメオタシスを得るだろう。だがそんな質問に私は興味がない」  ……と言うと、呆然としている少年の横を何事もなかったように過ぎ去っていった。少年にはかわいそうだが、私にはとても興味深い会話だ。  しかし、実を言うと私にも理解不能だった。  ここまで書いて、彼女のほうがこの文章を書くのに適した人物ではないかと思えてきた。  彼女は、私の知らない時代を知っているのではないか。そんな思いが頭を掠める。  だが、私には私の志向性がある。  この文章に、私は生きている。       「かみ? それはいったい何なんだい?」  と私は先程の彼女の呟きを尋ねた。 「ヒトの形をした希望を背負ったものだよ。いや、背負ってなどいないな。そこにあったのは空虚なオブジェだ」 「……ふむ」  そう言うと、彼女はさらに奥に進んでいった。彼女は、あの集落を素通りしただけでもう次の場に行くつもりのようだ。  そもそも旅というのは無謀にも未知未踏の地を踏んでいくことなのだから、いつまでも燻っているわけにいかないのも事実だ。先程の集落では、食料は乏しいものであっただろう。そこで食料調達はできそうになさそうだった。ならば、先に進んで水辺や集落を見つけたほうがいい。  私たちは、風のようにあの集落を横切っていったものだなぁ、と、意味もなく人事みたいに考えてみた。        いつものことだが、今日も野宿ということになった。  野宿のときは必ず火を焚く。  もしかしたらヒトだけかもしれない。酸素と炭素が結合してできる二酸化炭素を、熱を伴って発生し、煌煌と紅く燃えるこの炎の前で、何気なく座っていられる種族というのは。  そうなると、この状況下で警戒すべき者は私と同じ種族だけだろう。  恐怖がなくなっていく。脅威が消えていく。忘れていく。それが何より、  恐ろしい。  そんな原始的で、純粋な感情が私の中にもあることに驚いた。  美しいという感情もそのひとつだろうか。  戦慄と羨望を足して割ったような感情。  ヒトの延長物体である直線状のものや、曲線状のものが、元の位置に戻っていこうとするような佇まい。  真の自由は秩序の拡散。  真の自由は、存在し得ない。  束縛は秩序の構築。  その中庸であるカオスの縁。  これはエントロピーの増大と減少の両立を意味している。  歪む空間が塊として構築する。  宇宙ですらも、束縛無くしてこの世には存在しない。  それが、私の気分ひとつで。  炎の爆ぜる音を除けば、とても静かだ。  動物の慟哭は聞こえない。……星は、見えない。  天蓋がある。  私の上空に広がる、星の光らない、星を観察できない場所。  場所と場所を区切るものは何故あるのだろう? べつに区切らなくてもよかったのに。  ……ああ、そうか。  生物界にはそれを断絶するブラックホールが必ずある。  物質でなくても、見えない意識の差異というのだろうか。それが存在を断ち切る、見えない線とでも言うのであろうか。  見えているのに手が出せない空。  無限の宇宙に有限さがあった。永遠だと勘違いするほど、ヒトは気づかずに死んでいった。いつも手元においてあった食料をいつのまにか食べてしまったのと同じ。  自分が食べたのだ。  天蓋の上は覗けない。  意識をたとえて言えば、天蓋があることすらも、わかってなどいない。  今ここにいる自分は現実であり、そしてそれしかない。しかし生物は、少なくともヒトは、きっと他の現実があるかもしれないと思った。  悲しい事実に、目を背けるように。  ……しかし、目の前にある事実自体は何ら悲観的になる要素ではない。心という基盤から事実に対して展開していくために、悲観的な事実も楽観的な事実も存在するようになるのだ。  今日の、私が見た遺物、あれは何があってあんなことになってしまったのだろう? 隕石の衝突だろうか?  いや、以前読んだ文献の中に、「都市」というものが存在していた、という本を私は見た。彼らは、毎日の食事を調達することに汲々ともせず、個別空間を持ち、確固とした縄張りを常に維持していたというのだ。  それが何故?  私なりの答えは今夜では出せそうにない。  ただ、事実として今ここにあるのは都市は崩壊したということ。  結論からして、単に彼らは淘汰の中で失敗をしただけなのだ。競争して負けたにせよ、自滅したにせよ。  彼らは急激に変化を受けたのだろうか……。それとも緩やかに、穏やかに……  彼らにはあったはずだ。少なくとも終焉がくるまでは、崩壊しないという、絶対的な自信が。  いったいどれだけの生物が、この世界を把握できているのだろう?  ……夜闇に浮かぶ炎をみると、どうも奇妙な事を考えてしまう。  彼女が傍にいる所為もある。  いつ見ても彼女は私にとって不思議な存在だ。  目を瞑っていると普通に生きている少女なのに、彼女はどこか老齢さを思わせる雰囲気を持ち合わせている。  彼女が一体どういうものを見てきたのか、どんな時を過ごしてきたのか、疑問は尽きない。 「……起きているのか? 早く寝たらどうだ」  ……彼女も起きていたのか。 「今日見た像が気になってね……」  半分は嘘だ。 「壊れながら輝いていたあの像をおれは美しいと思ってしまった。それが今ひとつ判然としない」 「わからなくていい」 「そういうものかい?」 「わざわざ泡のように浮かび上がってくる何かに意味を付与して神経回路に記入することはないさ。感情というのは、言葉ではない」 「……そうか」  ……やっぱり、今ひとつわからなかった。どうやら私は、一度頭で思考のネットワークを築かなければ、初めて聞く思想に対しての、言語機能が正常に作動しないらしい。 「では、もう寝るぞ」 「ああ、先にどうぞ。私はは眠気が来ないと寝られないからね」 「遠慮なく」 「おやすみ。また明日出発だ」           END