多くの幽けき灯火よ ------------------------------------------------------- 【glas-gather】 http://glas-gather.org/ 真皓 伽夜 [途中でやめた話。] -------------------------------------------------------  汝が偶然であり必然の産物であるならば  「すべて」という意思は、私達に無意識の傀儡を齎すものである。  汝は「存在」るという、意味を。              一 いつか起こる事      これは、密室。とかいうものなんだろうか?  心臓は脈打ち、今にも叫びたくなりそうなほど目の前は白熱しているのに、考えていることは至って冷静だった。  非現実感。  現実感とは何?  非現実とは何のことを言っている?  すべては現実。  夢も現もすべて現実。  この目の前にあるものが。  生命活動を停止しているものが。    生命活動を停止させた原因は至って簡単だった。  胸から新芽のような突起物が生えていた。  上に葉でものせればそれを糧にした新芽のように見えたことだろう。  彼は大の字になり横たわっていた。  その横で、わたしは座り込んで彼のその顔をのぞいた。    死んでいる。    彼は死ぬ直前まで何を考えていたのだろう。  死ぬ時の前は何を?  それまでの毎日は何を?    この人物は思考していたかもしれないという猜疑。  この人物は生きていたかもしれない。という推測。  そして、隣人が此処にいたという言い知れない後悔の念に侵される、確信。    どうして……  涙が、頬を伝う。  いつだって何かに殺されることを覚悟していても、  殺されるとは思わない。  そう、彼は殺されたのだ。  この、密室というこの直方体の箱の中で。      二 これから起こる事  階段をゆっくりと上る。  水蒸気が結露し、水滴が集まって上履きの裏の土埃を吸い込んでいた。  上履きのゴムの部分と階段が摩擦しあって、そこを人が通るごとに蛇口の栓を拈ったような音を立てる。  そして空気を振動させ、続く廊下へと反響していく。  空気の温度が一つ下がった感触がした。  多分この建物自体、熱や冷気から守るような素材を使っていない。  それに設計も悪い。階段に結露が起こるのも、階段の中空に隙間を通していないからだ。  こんななかで箱詰めにされればストレスとやらが溜まるのも無理がないのではないか。  そう、鬱陶しい。煩わしいのだ。  この学校という機構。  これが社会で肯定された機構であることがどうしても納得できなかった。  人権が無かった。  それでいて、嫌いになる権利すら奪っていく。  よくできた機能だな、と笑った。  認識名称、安西古都、いきます。 手摺りに手を掛け、教室に入る時のシミュレーションとして引き戸を開ける動作をした。  そのドアを開けた後は、想像に難くなかった。一斉にこちらを向く皆の視線が思い浮かばれる。  そのときの教室に窓が開けられていたら、外の冷気と教室の視線の冷気で固まってしまうだろう。そんな自分を思い浮かべ、嗤った。  だから嫌になる。誰も自分を必要とはしていない。そんな現実が子どもにもあるのだ。  学校というものが閉じられた空間なだけに、それは一層自分だけの世界として受け止めなければならなくなる。  これは、現実でしかない。  逃げることも出来ない。  あわただしく階段を駆け上がる学生服を着た男子生徒が、階段の途中で止まっている古都を横目でみながら通り過ぎていった。  授業が始まる。鞄にかけている時計を見れば、八時三十分になるところだった。三五分から、ホームルームは始まるのだ。  途端に、自分の手のひらが汗ばむのが分かった。  入らなければならない。でも、入りたくないという葛藤。  立ち止まった。すると今度は後方から女子生徒が通り過ぎ、教室の扉を開け吸い込まれるように教室内に入っていった。  古都の目の前で、それは数十回繰り返された。  ふぅ、とため息が出た。  すれ違う先生はそんな古都の行動を怪訝に感じているような顔をしていた。だが、そんな行動を誰も追求せず教室へと入っていく。  怪訝に思いながら、無関心を決め込まれるのはいつものことだった。だが、自分も関心を持たれることを望んではいない。むしろ、通り過ぎていく時の他人の態度が可笑しくて傍観を決めているぐらいである。  古都は教室が並ぶ廊下を振り返ることもなく今まで皆が向かった教室とは反対の方向の廊下へと、足を延ばした。  背後から、廊下に響くように元気な先生の声が聞こえた。  誰もいない、と確かめながら古都は辺りを見渡し、透明なガラスでできた引き戸を引く。  目の前に広い空間が広がった。  廊下から、おそるおそる絨毯の上に足を踏み入れる。  インクと紙の匂いが心地よく感じる。  本棚が数え切れないほど並んでおり、それは、古都の背の高さでは届かないところまで伸びているものもあった。  誰もいない此処――図書館は聖域だった。  誰もいなくても寂しくない場所。  陽光が図書館の部屋を覆い、ふと吹いた突風でカーテンが舞う。体育の掛け声が、この部屋には遠くから聞こえるように響く。  思わず踊りだしそうになる。  学校の図書館。  授業をさぼったということは事実であるから、司書の人に見つかれば授業の最中に戻されるだろう。  しかし、古都はそのまま気兼ねなく軽いステップをしながら司書のいるカウンターの前に行った。 「おはようございます。小夜子さん」 「古都? あんた……、……おはよ」  あんた、またさぼったね、と小夜子は苦笑混じりで欠伸をしながら言った。 「ま、ね」  まさか気分の変化でさぼったとは言えない。  ただ、気分の変化を理由とするには、動機の理由ほど確かではないし、他人を納得させることもできない。  理由は本人の中にしか帰属しないのだ。  理由なんて、他人に説明したところで何の役にも立たないのはわかっていた。  それに、説明しようとする動機もない。  「受験シーズンじゃなかったっけ? 古都の学年は」 「そうだね」 「そうだね……って、いいの」 「うん、専門学校に行くこと、親に内緒で決めたから」 「え、そうなの、いつから」 「この間の夏から。友達と旅行と偽って見当つけてきた」 「で、どこの学校」 「県外。私の親って最近の親としては珍しく大学行かせたがっているけど、行ったって気乗りしないし」 「気乗りしないけど……受験勉強してる人もいるよ?」 「そうだね。――ねぇ小夜子さん、この話やめない」 「どうして」 「分かりきってることだから……さんざん言われてることだし。それに、親が大学行けって言っても、結局はそれは自分が不本意で行く事で、責任は親でしょ。私は自分の行動には責任をもつし、責任転嫁もしたくない。これ以上……支配されたくない」  不本意で大学に行けば必ず後悔する。  だから、後悔だけはしたくなかった。親と反駁したとしても。   普通というのは、いろいろと悩まなきゃならない。自分の信念を押し通そうとしたら傲慢になるし、逆に引っ込めると卑屈になる。  普通の人間である自分は、こうやって周囲との整合性を保ちながら生活をしなければならない。  それでもどうにもならない事の方が多すぎる。  自分は異端だけれど、普通に悩んでいることが不幸といえば不幸か。  異端。  どうして自分は異端なのだろう。  いつのまにかグループからはみ出ている自分に気付かされるのだ。それを寂しくは感じないが、どうしていつも自分なのだろう、とは思う。  とりあえず今は情報収集に凝っていた。悩むにもそれなりの方法や整然とした方向へ進むための悩み方というのもある。それには情報を集め、夜中にひたすら読んで感動したあとに横になり、翌日にそのことを考えて文章にすると良い。  翌日になるとけろりと悩みがすっきりしている自分の特性を利用した方法だった。  古都は本棚の背表紙を左から右に眺めた。  新しく入った本は傷もなく目新しい。何気なくついつい手にとって眺めてみたくなるハードカバーの白い表紙。だが中身を見た途端気分が悪くなった。元の場所に戻そうとした。が、本と本の間は積み、取り出した後に入らなくなってしまうような仕組みと化していた。仕方なく力ずくで嵌め込んだ。 「ねぇ……小夜子さん……、このエッセイって……」 「ああ、それ? 他の生徒に注文されたやつ。巷では人気あるんだってさ。ランキングにものってるみたい。でもそれってやっぱ情報戦略の賜物なんじゃないかと思うけどね……。読んでみたら普通だった」 「そうだろうね……。欺瞞っぽくない? こういうのって」 「うん、確かに。いろいろ良い事書いてるけどそんなん知っとるわ――って感じだね」 「苦手、こういうの……」 「身の上話だからなぁ、それも成功談だし……ほぼ、役には立たないものだね」 「だって……これ、良い事ばかりしか書いてないじゃない。自分の苦しい人生がここまで到達できた、という自慢話でしょ……。読みたい人は読むんだろうけど、どこが楽しくて苦しみ肯定論なんか受け入れられるのかな」  成功談だから余計嫌味である。  人生のスタートはこれからだ、とか、誰もが苦しい思いをしているんだ、という結論を言うために自分の人生を露呈して、その結論をあたかも人類で初めて見つけたかのように言い振舞う。  言っていることは的を射ている。  でも、それでもどうしようもない人間やどうしようもない人生というものも確かにある。その事実を、誰も言わない。誰も受け止めようとはしない。まるで社会の汚点であるかのように、忌避し差別している。  自分がその忌避される本人だからこそ、それを記述していない楽観論は反吐が出そうだった。 「今日は新刊入ってるの?」古都は訊ねた。 「うん、頼まれてたヤツね。入ってるよ。多分新刊図書の棚にあるから」と、古都が眺めている新刊図書の戸棚をカウンターを隔てた場所から指差した。 「ありがとう。早速読んでもいいかな」 「うん」  司書の小夜子は気軽に話しかけてくる、とても珍しい友人であった。司書と生徒の友人関係というのも珍しいものではあるのだが。  こうやって生徒と気兼ねなく話せるというのは、小夜子本人も、まだ学生の意識が残っているのかもしれない。  それだけではなく、小夜子は自分とどこか似ているのだ。  図書館に居座るようになり、小夜子と話している自分の中に懐かしい感触があった。  自分が子供に戻った感覚、とでも言うのだろうか。 「ほんと、古都みたいな人がどんどん、この学校に入ってきてくれるとこの我が図書館も繁盛するのにね」 「これって商売だったの」古都がにやにやして言うと「いや、違うけど」と小夜子は苦笑した。 「それにさ、私みたいな人間が入っても良い事なんてないっしょ。役に立たない非社会人だし。まぁ、非社会人はそのままほっといたらのたれ死ぬけどさ」  古都がそういうと、小夜子は辟易した。 「古都は何かと諦観してるよねぇ、自分に対しても社会に対してもさぁ」 「諦観しててああ良かったなぁなんて思ったことはないぞ」古都は苦笑した。 「古都は頭良い。他の目の前の受験勉強にだけ頑張って、期待に応えたいっていう報酬だけで動く人よりは」 「どうして?」 「え。うーん、どうして、って言われると困っちゃうんだけど……」小夜子は少し悩んで答えた。 「古都は他の人には見えてない何かが見えていると思うんだ。難しい話にも興味を持つし、報酬とは関係なくいろんなものに疑問を持つ。今の人たちとは違う」 「でもさ、他のものが見えているからってそれが人生の何の役に立つのかな」 「役に……立つでしょ? そりゃあ。これから生き延びるのに哲学は必要よ、うん」 「でも社会を動かしているのはバカじゃないかな」  自分の、その放った一言に小夜子は少し固まった。自分でも自分の声に驚いた。低く、棘のある声を無意識に発していた。 「バカががむしゃらに動いて食料を作り、笑顔でカウンターに並び接客をし、お金をもらってお金を払う。考えていなくても勝手に世間は回っていってるよ、ごく自然に」  すらすらと出てくる言葉が、ずしりとまた自分のこころに沈潜していく。ああ、言わなきゃ良かった。と、本のページを捲りながら思った。 「そういう考え方が必要なのは行動し結果を出せた人だけが言えることなんだよね。いくら考えて役に立つかもしれないことを勉強しても、役に立たなきゃ……行動に移さなきゃ何の意味もない……死んでいるのと同じだよ」  ぱらぱらと同じ間隔でページを捲った。  意味のない動作だった。  読んでもいない。  あれほど楽しみにしていた新刊図書なのに。  ほとんど条件反射で言葉が出る。きっと、さっき嫌いな本を見てしまったせいもある。  小夜子は俯きながらうーん、と唸った。 「そういう意味で、あなたたち学生は大変な時期とも言えるよね。何かの役に立つようなことは教えられずに期待だけかけられるのだから」  小夜子はフォローするつもりで言ったのだろう。  だが自分の口を止めるような効果は皆無だった。 「ま、教えられなくても出来る人間はできるようにはなっている。だから出来ない人間は掃き溜めにいるしかない」 「……またまたすごいこと言うね」小夜子は苦笑した。 「ほとんど自分のことなんだけど」と自分も苦笑した。 「自己卑下しても結果がすべて、か」 「そうそう。意味なし自己卑下。何となく言ってみる自己卑下。言ってて面白い自己卑下」 「いや、面白くないし」  小夜子は力無く首を横に振っている。なんとなく、自分に対して怒っているような雰囲気もあった。 「……う、もしかして耳痛いだけ?」恐る恐る聞くと、小夜子は「うん」と言い、微笑もうとして失敗したような顔をした。 「痛いも痛い。自分が役に立ってるかどうかもわからないから」  自己卑下を他人に話すことは、よく思われることはない。何故なら、自己卑下をしている当人に同情するまでもなく、その独白を聞いている人間に対する卑下にも繋がるからだ。  自己卑下の内容に思い当たらない人間は滅多にいない。  だから、独白を聞くのも嫌になる。  耳を塞ぎたくなる。 「……ごめん」  カウンター越しで会話をしていると三十分を過ぎていた。  一時間目の授業が終わるには後二十分弱あるが、あまりここを出たくはなかった。あと二十分弱もすれば一時間まるまるさぼることになる。  その時間をつぶすためにずっと座るための椅子を探さなければならなかった。  今は古都以外誰もこの図書館にいない。今なら特等席は簡単にとることができる。古都は日当たりの良い場所をとって座った。  そういえば、とふと思い返す。  今の小夜子との会話には、矛盾が多く見られた。  さっきまでは、結果を出した人間への嫌悪があったのに、結果を出さなければいけないのではないかという自分なりの結論。  それらはやはり互いに矛盾が見られた。  それこそが、自分が葛藤している本当の原因なのかもしれない。  何かの役に立つようなことは教えられずに期待だけかけられるのだから、という小夜子の言葉が、自分の葛藤した気持ちに楔のように打ち込まれた。    やはり、自分はつまらない人間だ。  つまらないことに執着し、そこで足を止めて居座り、先を進むものを羨望し嫌悪している。  教室に入りたくないのは、がむしゃらなバカを見たくないからでもあった。  未来を見ている彼らを。